院長コラム|大阪のがん免疫療法(免疫細胞治療)内科|吹田市 緑地公園駅近く 北大阪メディカルクリニック

院長コラム

No.121 パラリンピックを前に思うこと

2021年07月18日

普通とは何か。正常とは何か。障害とは何か。健常とはなにか。
もうすぐオリンピックが始まります。なんだかんだ言いながら、結局始まります。
ここ大阪でもコロナ陽性者は予想通り増え続け、一ヶ月後、二ヶ月後、どうなっているのでしょうか。仮に感染拡大がコントロール内で済んだとしても、“だから開催しても良かった”と言うことにはならないですよね。戦場で銃弾が飛び交う中を走って、その結果、弾が当たらなかったとしても、“だから銃弾が飛び交う中、走っても良い”と言うことにはならないのと同じでしょう。責任の所在がはっきりしないまま、開催されることを大変憂慮しています。

さて、オリンピックに続き、パラリンピックがあります。パラリンピックという言葉はパラプレジア(Paraplegia下半身麻痺)+オリンピック(Olympic)の造語であったとされていますが、今や、「麻痺」だけでなく、肢体不自由、視覚障害、聴覚障害、知的障害など、いろいろな「障がい」をもつ人のスポーツの大会となっています。ところで「障害」とはなんぞや、ということになります。「障り」「害」という同意義語を重ねたこの言葉、何か抵抗がありませんか。

機能障害、視覚障害、聴覚障害、言語障害、知能障害、等と、「障害」とつく言葉はいろいろあります。
生まれながらの視覚障害がある素晴らしいピアニストの青年もいます。
有名な「運命」はベートーヴェンが聴力を失ってからつくられた作品と聞きます。
人の心に残る音楽を奏で、はっとさせられるようなダンスを踊る人もいます。
凡人には想像もできないような衝撃的な絵画を描いたり、のびのびとした書を書いたり。その芸術性の高さには驚かされるばかりです。

また発達障害の一つとされる吃音を持つ人もたくさんいます。現アメリカ大統領のジョー・バイデン、元内閣総理大臣の田中角栄。タイガーウッズにマリリンモンロー。私の好きな作家、重松清も自身が吃音者であり、吃音を題材にした話をたくさん書いています。

つまり「障がい」というのは自分の基準から判断して、「目が見えないから不自由だろう」「バランスよく歩けないから不自由だろう」と思いがちですが、果たして本人にとってそれが「障り」なのか、私にはわかりません。多分目は見えたほうが良いのではないか、耳は聞こえた方が良いのではないか、と思っていますが、それは私が目が見えて、聞こえるから思っていることです。

夜中には普通がたくさんあります。「人の足を踏んだら普通は謝るよね」「同じ値段だったら、普通は大きい方えらぶよね」「重たそうな荷物を一人で運んでたら、普通は手伝うよね」「みんなが掃除してたら、普通は自分も一緒にするよね」など、「普通」はたくさんあります。しかし、それは「その人」にとっての「普通」であり、「他の人」にとったら「普通」ではないかもしれません。

『「がんになって良かった」と言いたい』という本を書かれた京大の大学院生が先月亡くなられました。最初は「がんになって良かった」だったと思いますが、「と言いたい」がついて出版されていました。その本を拝読していないので、なんとも言えませんが、「癌になって良いわけないんじゃないのかなあ」とタイトルだけしか見ていない私なんぞは思いますが、多分もっともっと深いところに、彼にこう言わしめた何かがあるのでしょう。心して手にしたいと思います。

人の考え方は千差万別です。目が見えないことが不自由なのか、不自由なことが不幸せなのか。腕が無いことが不自由なのか。それは幸せをもたらさないのか。目が見えて、耳が聞こえることが自由で、それが幸せなのか。生き生きと躍動するパラリンピックの選手たちを見ていると、「心のもちかた」がとても大切なのだなと思います。パラリンピックを前にいろんなことが頭の中をぐるぐるまわるこの頃です。

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